社会的弱者排除論は隆盛の一途を辿る・・・ような気がします

どうも。参四郎です。

昨日、YouTubeで次のようなニュースを観ました。

早朝の暗い時間、男子高校生が耳にイヤホンをして無灯火で自転車を走らせていた所、歩道を歩いていた高齢者と接触。高齢者はその弾みで車道に飛び出し、走って来たトラックに轢かれて死亡した。

コメント欄には男子高校生を非難するコメントやトラックの運転手を擁護するコメントが溢れていたんですけど、その中で次のようなコメントを発見しました。

「高校生ナイス!これで現役世代の負担が減るね!」

・・・みたいなコメントだったと思う。今改めてコメント欄を見たんですけど見当たらないんですよ。削除されたのかな。因みに昨日見た時には、そのコメントに対する👍は400を超えていました。

倫理的、人道的に考えて明らかに不適切なコメントであることは間違いない。しかしですね。現実として多くの人がこのコメントに賛同している訳です。みんな大っぴらには口にしなくても、内心そう思っている人が大勢いるって訳だ。良い悪いは別にして、このコメントは決して少数意見ではない。うん。まあ知ってるけどね。
あの植松聖は「意思の疎通の出来ない、生産性のない人間は死んだ方がいい!金のムダ!」って理屈で知的障害者19人を刺殺した訳ですけど、一部ネット上では英雄視されてましたからね。

前に勤めていた法人で知的障害者施設に在籍していた期間があるんですけど、その頃に床屋の店長と次のような会話をした記憶があります。

店長「あんた、よくそんな仕事ができるな。俺は無理やわ。俺は口よりも先に手が出る方やから」
私「はあ」
店長「しかしまあアレや。ああいうのは死んだ方がエエねん。親もはよ死んでくれって思っとるんとちゃうか?」
私「うーん、どうなんですかね」

私は聖人君子ではない。別に床屋の店長に反論する気なんてサラサラなく、「やっぱりそう考えてる人も多いんだろうな」って感じで店長の話を聞いていた。
ただね。知的障害者の親は大体において自分の子の将来を案じている。「自分が死んだらこの子はどうなるんだろうか」って感じでね。若い時期から施設に入所させるのも施設での共同生活に慣れさせる目的がある。親が亡くなってから急に施設に入れられても順応できないからね。「はよ死んでくれ!」って思っている親は殆どいない。まあ中にはいるだろうけど。

この先、少子高齢化が進んで現役世代の負担が増えて行けば社会的弱者排除論は高まりを見せるんじゃないかと思っています。私としてはとにかく体に気を付けて周りに迷惑を掛けない年寄りになれるよう心掛けたいと思っています。生きていればの話ですけど(笑)。
人間、誰しも社会的弱者になる時が来ますからね。他人事ではないですよ。

それではまた。


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