パチンコ・パチスロのハイエナはいつ生まれたのか

どうも。参四郎です。

パチスロで勝つ手法としては設定狙いが王道なのは間違いない訳ですが、現在の主流がハイエナであることは疑いようのない事実。しかしこのハイエナというスタイル、いつの時代から始まったのだろうか?

これは恐らくパチンコ黎明期からあったのではないかと思われます。
あの有名なパチプロ、田山幸憲さんの伝記なんかを読むと「マーク屋」なるモノの存在が描かれていたりして。これはプロが打った台の釘の形を頭に入れて、翌日に朝からその台を押さえに行くスタイル。釘に変化がなければ打ち、変わっていれば打たないってやり方。スロで言う所の高設定据え置き狙いみたいなモノか。まあ、釘の変化が分からなくても、「前日にプロが打ってたからとりあえず確保する」みたいな人もいたでしょうね。何にしてもこういう人たちは「実力のないマーク屋風情が」みたいな感じで下に見られていたようです。上も下もないような気がしますが(笑)。

私がパチンコ、パチスロをやり始めた1998年当時は・・・特にハイエナとかはなかったと記憶しています(自分が初心者で知らないだけかも)。
自分の知る限りではアレックスの内部確変狙い(変則2回権利物。台ランプの回転方向以外に内部状態を示唆するモノがなかった)くらいか。スロットはほぼノーマル機で天井もなかったし(裏モノではあったかもしれないが、触ったこともなく詳しくない)。まあ、谷村ひとし先生に影響を受けたエナはもしかしたら存在していたかもしれないな。「この台、3源源のリーチ目出てる!」とか「当たりやすい回転数の台みっけ!」とか(笑)。

その後、獣王を皮切りに爆裂AT機時代に突入し、天井が搭載された訳ですけど、当時のパチ屋の状況を思い出す限りでは、店内を徘徊してエナしてるような客はいなかったように思います。まだネットが普及していなかったっていうのもあるし、当時の攻略誌でも「天井狙いが熱い!」的なことは書いてなかったと記憶しています。獣王の設定6を夢見てパチ屋に通ってたよな(笑)。

結局、今みたいなハイエナ主体のスタイルが確立されたのって5号機時代、パチマガの旅打ち企画で600万以上の収支を叩き出した夏目五郎氏からじゃないですかね。「スゲー!エナってこんなに稼げるんだ!」ってことを世に知らしめたというか。それ以降エナ野郎が爆増したし、自分もそれに徹することはないにしても、天井やゾーン、宵越しでのハマりゲーム数なんかを意識するようになりましたもんね。うん。夏目五郎は凄かったな(笑)。

そういった流れで今日に至ると思われます。
しかしまあ・・・若いモンがパチ屋の店内をひたすらウロウロ徘徊してる様はみっともないモンですよ。そしてロクに打てる台にありつけてないっていう。大して稼げもしないのに、どうしても働きたくないんでしょうかね。

やめた方がイイと思うなー。後は私がやっとくから(笑)。

それではまた。


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