パチンコ店員時代

前回までのあらすじ  27才にして高校を卒業した参四郎。3年間続けたバイトも辞め、これからどうしたものかと思案していたのだが・・・

高校を卒業してバイトも辞めて、ただの無職になった訳ですが・・・今後のことを漠然と考えてはいました。


「福祉業界は人手不足だから自分のような人間でも正規職員として採用してくれるのではないか」。そう思って家から近い老人ホームを3つ程回り面接を受けたのですが・・・全て不採用。やはり高校を卒業した程度では何も変わらないようです。さりとて何もしないと生活もままならない訳で。そこでパチンコ店の求人に応募することにしました。「パチンコ・パチスロなら十分経験あるし、自分でも大丈夫だろう」。さっそく電話し、面接を受け、無事採用されることになりました。

パチンコ店で働き始めた訳ですが・・・挨拶や髪形、服装に至るまで大変厳しい所でして。事務所に入るとき大きな声で「失礼いたします」と言わないとやり直しさせられましたし、身だしなみがちゃんと整っていないと仕事をさせないというような感じでした。
業務的にはドル箱の上げ下ろしが大変でしたね。半月くらい経った頃にメチャクチャ腰が痛くなりまして、湿布貼りまくって耐えてました。慣れたら痛みも消えてなんとも思わなくなりましたけどね。今でこそ各台計数機が普及してかなり楽になってると思うんですけど、それでも出玉感を出すために玉積みにこだわる店もありますよね。

このパチンコ店員時代の経験はとても勉強になりました。
その当時は毎日何かしらのイベントをやっていた訳ですけど、まともな店はちゃんとク〇を調整するんですよね。例えば明日が海物語のイベントであれば、営業終了後に海の〇ギを開けていましたし、その次の日がエヴァンゲリオンのイベントであれば、夜に海を締めてエヴァを開けていました。そういうことをしない店っていうのは年中期待値マイナス調整でほったらかしのボッタクリ店ですもんね。

で、実際どこを叩くかというとヘソだけなんですね。それこそ何百台もあるパチンコ台を細かく調整していたら夜が明けてしまう訳で・・・。だから、寄りとか道とかスルーとかアタッカーとか見るべきポイントはいっぱいあるんですけど、そういう所は一度型が決まったらよほどのことがない限り動かさないということを知りました(勿論店によって違うと思いますが)。
さすがにスロットの設定については私のような下っ端が分かる筈もないのですが、時折「その機種は全台何ゲーム回せ」みたいな指示が聞こえたりして・・・そういう朝一台対策みたいなものも実際に行っていました。

そんな感じでパチンコ店で半年ほど働いていたのですが、家の近所の福祉施設で求人があり、パートとして採用され、その年に採用試験を受け、次の年から正規職員(社畜)としての生活がスタートした訳です。社畜時代のことは折をみて少しずつ記事に上げていきたいと思います。
とりあえ昔話シリーズはここまでとします。それではまた。

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